ファッション誌VOGUE BRASILにご紹介いただきました。
VOGUE BRASIL6月号掲載記事日本語訳
精進料理で世界を代表する棚橋俊夫は、食べ物と対話すると言明する。料理を作るときには瞑想し、果物と野菜のみを使って奇跡を引き起こす。
真っ白いシェフコートがあふれる中、野袴を合わせた青みがかったグレーの縞の着物という東洋の料理人のユニフォームは際立つ。鍋や業務用ガスレンジの中で日本から来た料理人、サムライスタイルの棚橋俊夫の優雅さには驚かされる。これから刀を抜くのではないかと想像するほどである。棚橋はサムライ用の刀を使うことには慣れておらず、他の優れた料理人と同じように包丁を器用に扱う。仏教の禅を実行している棚橋は、有名な料理人の間では日常的なコントロールできない怒りとは無縁のようである。非攻撃的な教えから生み出された精進料理と呼ばれる料理で世界を代表する棚橋は、13世紀に書かれた典座教訓と呼ばれる料理の聖典の教えに従い、野菜に敬意を払い、食べ物を生み出す土と人に対して感謝を捧げる。魚、肉、卵、乳製品は、命と食べ物に向きあうこの他には類を見ない料理スタイルには入らない。
魚介類を使用しない豊かな日本料理を想像することは至難の業である。しかし、料理人、棚橋が従う哲学ではすべて意味がある。極めて繊細な料理人の手により、野菜、葉野菜、果物は驚くべき美しさと味わいの優雅な組み合わせで輝くため、二次的な役割を失う。1度きりの食事を用意するため、棚橋はいつも40以上の材料を使う。ほぼ半世紀にわたり土からの恵みだけで料理を作っている。昨年の3月にサンパウロのグランドハイアットホテルのレストラン、絹で行われた夕食で出された料理の1つ、イチジクの天ぷらとグリーンアスパラ、レンコンのチップ、オクラから作られた透明で繊細な汁物のように、予期できない味わいの料理を生み出すため、驚くべき能力が見られる。忘れることができない他の料理は、棚橋の得意料理である醤油とワサビと出されたゴマと葛の豆腐である。これはシンプルかつ複雑な料理である。
「野菜を選び、私と対話するようそれを注意深く観察した後、何を作るか決める。私のインスピレーションは、野菜を観察することから来る」。棚橋は、私の疑い深い表情を無視し、穏やに「アスパラは汁物かサラダで使われるべきだと私に語りかける」と述べる。棚橋が用意した食事を味わった後、それは事実であり、料理人と野菜のコミュニケーションは信憑性があるように思える。棚橋が果物と野菜のみで料理を作ることは驚きである。「私にとって、野菜の色、形、味はあるタイプのアートである」と言う。
棚橋俊夫は27歳の時、サラリーマンのキャリアを捨て、料理を習うことを決めた。京都の近くの月心寺を選び、そこで料理の習得を始めた。料理人になるため、仏教の哲学と儀式の重要性を学びながら、3年間をそこで過ごした。儀式の1つが台所に入る前に冷水を浴びる清めであり、棚橋はその後の23年間、その習慣を保っている。「食事を作る場所は聖なるものである」からである。ブラジルを訪問したとき、その最初の仕事の1つがごま豆腐の準備であった。正座して、すり鉢を床に置き、山椒の木で作ったすりこぎで右から左に円を描くようにゴマをする。棚橋は自身の呼吸とゴマの香りに集中し、40分の修行の間、瞑想する。
「食事をするとき、身体だけではなく感覚にも栄養を与える。そのため、料理人は自身が穏やかでいることが非常に重要である」と述べる。日々の忙しさの中で、だれがただ1つの材料を準備するために40分かけるであろう。それに加え、棚橋は予め用意された食品を決して使わない。料理は、各食事に対してゼロから始められる。棚橋のケースのように、15年間、このようなやり方でレストランを保つことは容易ではない
1992年に東京に開けられた月心居では、レストランの清掃までが棚橋の日常の一部であった。当時、棚橋は、仕事のために作務衣を台所で使っていた。「お寺での修行は非常に厳しいものであった。このときの気持ちはレストランを開けた後も同じである。何年もにわたり厳しさが続いた」と述べる。2007年、レストランが流行っていたにもかかわらず、世界に精進料理の哲学を広めることに専念するため、レストランを閉めることに決めた。それ以後、京都の是食キュリナリー・インスティテュートで料理を教え、本を執筆し、精進料理を提供するため世界中を飛び回る。ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館でも精進料理を紹介したほどである。
今回のブラジル訪問は2回目である。地元の食材に関心を持つ棚橋はサンパウロの公設市場を訪れ、アラチクム(別名マロロ、ドリアを思い出されるブラジルのセラード地域の果物)に興味をそそられ、すぐにそのメニューに加わることに決めた。しかし、パラ州ベレンの訪問により、棚橋はブラジルに存在する果物の多様性を本当に理解した。「こんなに変わった物を見たことも食べたこともない。新鮮なアサイはとてもおいしく塩も砂糖も要らない」と述べた。そこで、棚橋はアマゾンの果物はそのデザートの一部となるという『声を聞いた』。レストラン、ジュン・サカモトで慈善夕食会(日本での地震の被害者のため)を行うため、サンパウロに戻った時、ベレンでの感動を抑えることができず、アサイを葛粉の団子と餅に加えた。まさに神々との対話である。
料理評論家:ベルトリノ、写真:マルセル・ヴァルヴァソリ